2025/9/30
【衝撃】情熱と善意が2000万円を溶かす。中小制作会社を襲う「隠れ赤字」の正体
記事のリード文
「今回だけは特別に」「次につながるから」。中小制作会社なら、誰もがこんな理由で引き受けた案件に泣かされた経験があるはずだ。
クラウド会計大手のfreeeがこの夏にまとめた調査結果によると、従業員500名以下の制作会社では、赤字プロジェクトで年間平均2,000万円超が消えている。
さらに「ちょっとした」修正の無償対応で250万円相当。合計2,300万円近くが「見えない損失」として蒸発している計算だ。
制作会社の4社中3社がこうした損失を抱え、7割の従業員が「忙しいのに給与が上がらない」と嘆く。クリエイティブ業界は、なぜ善意で自らの首を絞めてしまうのか。
メディア論に詳しい東京科学大学の柳瀬博一教授と、ウェブ制作業界における第一人者であるベイジCEOの枌谷力氏とともに、業界の構造的課題とその解決策を探った。
「見えない2000万」が消えている
「クリエイターの情熱が、結果的に赤字を生んでいる。この構造をなんとか変えたかった」
フリー常務執行役員の佐藤顕範氏は、今回の調査の動機をこう語る。
調査は、従業員500名以下のシステム開発会社や制作会社を対象に実施。回答者の9割が経営者・役員という、まさに経営の実態を知る人々の声を集めた結果だ。
同社の顧客の多くは、プロジェクト型で仕事を受注する100人未満の中小制作会社。彼らから聞こえてきたのは、収支が見えないまま進めた案件が、いつの間にか大赤字になっているという悲鳴だった。
「正直、想像以上の数字」と佐藤氏が振り返るように、調査結果は衝撃的だ。
4社中3社が年1回以上赤字プロジェクトを経験し、その損失額は平均で年間2062万5千円。1件あたりの平均受注額(820万円)を考慮すると、年間2〜3件分がまるまる赤字になっている計算になる。
佐藤氏は、こうした赤字受注の背景を指摘する。
佐藤氏 システム開発やウェブ制作、映像制作会社等でも同じ状況です。最初の案件を赤字で受注し、その後の保守案件や新規開発で黒字化を狙う。「次につながるから」という理由で赤字を許容する構造が、業界全体に蔓延しています。
さらに「ちょっとした修正」や「追加要望」という名の無償サービスは年間590時間。時給4,000円換算で236万円相当が、タダ働きで消えている。
「でかいですね」
東京科学大学の柳瀬博一教授は、この数字に驚きを隠さなかった。
ウェブ制作会社ベイジのCEO枌谷力氏も、赤字プロジェクト2,000万円超という数字に、自身の経験を重ね合わせる。
枌谷氏 うちも今年で16年目ですが、これまでハードシングスと言えるようなことはほぼなかったんです。
ただ、2022年に人数が30人を超えて会社の構造が変わり、権限委譲がうまくいかず新しい営業体制の構築に失敗したときに、創業以来初めて赤字になるかもしれない、という危機に陥りました。
結果的にはギリギリならなかったんですけど、利益率が1%まで落ちました。
興味深いのは、調査データが示す矛盾だ。
83.1%の企業が何らかの作業記録を取っているにもかかわらず、作業コストまで把握している企業はわずか2割程度。
つまり「何をやったか」は記録しても、「それがいくらかかったか」という工数=コストの意識が欠如している。
なぜ、こうした状況が生まれるのか。その背景には、日本のクリエイティブ業界特有の文化的要因があった。
「いいもの作りたい」病──なぜ、自ら搾取されるのか
「作品の質」と「利益」のバランスが取れないのは、クリエイター個人の能力の問題ではない。むしろ、日本特有の産業構造と文化的背景が、彼らを「善意の搾取」へと導いているともいえる。
なぜ、日本のクリエイティブ業界では、工数や原価を正確に把握できないのか。その根源は、歴史的な技術継承システムにある。
柳瀬教授は、578年に創業した世界最古の企業である宮大工の「金剛組」を例に挙げる。
柳瀬氏 かつて多くの仕事が宮大工の世界のように徒弟制度でした。
教科書もマスメディアもない時代において、長年下働きで師匠の技を盗み、棟梁へと成長する徒弟制度は非常に合理的で効率的な技術継承の方法だったわけです。
しかし、この「師匠の背中を見て、同じ職場で長い時間学べ」という方法論は、「作業プロセスの言語化・定量化」がしにくい側面がある。宮大工をはじめとする伝統的な仕事や芸術や工芸の世界において、徒弟制度は今でも機能している。
一方で、日本においては、現代的なビジネスでも徒弟制度型を継承しすぎたきらいがある。戦後の急速な産業勃興を支えた企業の終身雇用制度はまさに徒弟制度と地続きだった。
だが、技術革新のある世界では、師匠の仕事を否定する必要が出てくる。また、徒弟制度が企業間に持ち込まれると「多重下請け構造」へと形を変える。
結果、「作業時間は金銭的価値」という認識の欠如につながっている、と柳瀬教授は指摘する。
産業全体の問題は、現場のクリエイターの意識にも深く根を下ろしている。
自身も20年間デザイナーとして活動していた枌谷氏はこう分析する。
枌谷氏 ビジネスでは合理主義と感性のバランスが大事ですが、クリエイターは合理主義的なビジネスの世界に嫌悪感があったり、そこで活躍する自信がなかったりして、その職業を選んだ面もある。
だから「明日からマネージャーになってください」と言われても、「そういうことをしたくてこの世界に入ったわけじゃない」となりやすい。
実際、合理性とクリエイティビティの両方を兼ね備えたデザイナーは極めて少数で、このような人材は業界で希少価値が高く、キャリアで大きく成功しやすい。
こうした極端な二極化が、制作業界の体質的な問題を生み出している。
さらに問題を複雑にしているのが、日本特有の曖昧な商慣習だ。
柳瀬氏 欧米では19世紀の産業革命の時期に、産業規模が拡大し、現代的な大企業が続々と登場した。イギリスでは1844年に会社法が制定されている。
欧州には複式簿記の導入がそれ以前から行われ、ウェッジウッドのような価値と価格を経営に取り入れたブランドビジネスも生まれていた。
一方、日本の場合、明治維新以降、急速に欧米型の企業制度を導入したが、国際会計基準の導入や法化社会への対応は21世紀に入るまでおざなりであり、経営をボードメンバーが監視するコーポレートガバナンスも遅れていた。
皮肉だが、一方で、昔気質の徒弟制度や、組織ではなく属人的な能力で仕事を作る"日本流"は、一部の分野では創造性を育んでもいた。
柳瀬氏 『ドクタースランプ』から『鬼滅の刃』『呪術廻戦』に至るまで、集英社の「少年ジャンプ」では、若手編集者がほぼ新人の漫画家とコンビを組み、ヒット作を作り上げてきた。
クリエイティブのさまざまな部分を権利と法律で固めているアメリカなどのエンタテインメント産業に比べると、新しい才能が素早く花開く環境がそこにはある。
その一方で、エンタメ分野の制作会社では、この柔軟性が時として裏目に出る。現在では解消されつつあるが、曖昧な商慣習は、クリエイターを「言い値」で働かせる構造を温存してしまうことがあった。
フリーの佐藤氏はツール開発の視点から見つめてきた。
佐藤氏 案件ごとに費目が紐づくビジネスでは管理の負荷が高い。しかし、ITツールで管理できている会社とそうでない会社では、明らかに利益水準に違いがあります。
「いいものを作りたい」という情熱が、なぜ「工数=コスト」という認識を曇らせるのか。
その答えは、経営者たちの「勘」への過信にもあった。
的中率61%──
社長の勘と「肌感」経営
コスト意識の低さは現場だけの問題ではない。むしろ経営陣の意思決定プロセスにこそ、根深い課題が潜んでいる。
同社の調査によると、制作会社の経営者や役員が「勘」で予測したプロジェクト収支の的中率は61.7%。言い換えれば、約4割は予測を外しているということだ。
この数字をどう見るか──。枌谷氏は率直な反応を示した。
枌谷氏 6割って、結構高い気がします。むしろ経営者の勘は当たっているんじゃないですか。
柳瀬教授も同調する。
柳瀬氏 あくまで個人的な意見だが、あらゆる分野でトップの人間の成功の確率は高くても4割に満たない。3割くらい。
出版業界でも企画が当たる確率は優秀な編集者で3割、とよく同僚たちと話していた。これは、プロ野球の打率が日本でもアメリカ大リーグでも4割を超えることがまずない、というのと呼応する。
かつて、王貞治さんにインタビューしたとき「プロの世界で4割を打つというのは、100%打っているのに近い。実際に100%打つことはできないから、一流打者で3割なんです」とお話しされていた。プロ野球のようにプロ同士の勝負では、どんなに名選手でも必ず相手に負ける場面がある。
それを考えると、結果としての6割という数字そのものは低くない。
しかし、佐藤氏は、この「6割で十分」という認識こそが問題だと指摘する。
佐藤氏 前職の地銀時代、ある制作会社の利益管理を見て驚きました。紙に案件一覧を書いて請求書を貼り付けていた。Excelにすらなっていない。経営者は「俺の勘は当たっている」と自信満々でしたが、帳簿には赤字案件が散見される。
平均820万円の案件で4割の予測が外れるのは相当なリスクなのに、多くの経営者がその危険性に気づいていない。
なぜ、勘に頼るのか。案件ごとに膨大な費目が紐づくため、管理の負荷が高く「俺の勘のほうが早い」となってしまうのだ。
実際、データに基づいた意思決定ができていない企業は62.5%。リアルタイムで収支を把握できていない企業は81.4%に上る。
柳瀬氏 野球もクリエイティブも「結果としての打率は一流どころで3割」と話したが、それは、野球選手や書籍編集者が「3割当たれば十分」と思っていたわけではない。100%全部当たると計算し、努力し、信じた上での3割ヒットなのだ。
6割くらい当たればいいんじゃない?という発想では、3割どころか全く当たらなくなるだろう。
枌谷氏も、かつての危機と重ね合わせる。
枌谷氏 利益率が1%まで落ち込んだとき、何が原因かすら分からなかった。どの案件が赤字で、どこに無駄があるのか。「なんとなく」でしか把握できていなかった。
転機は工数管理ツールの導入だった。
枌谷氏 世間には、数字で管理したら「クリエイティブに余白がなくなる」という声もあります。
でも逆なんです。無駄が見えることで、自由にできる時間が増えて、創造的な仕事に時間を使えるようになるのです。
ただし重要なのはツールではなく、組織の意識改革だと枌谷氏は強調する。
枌谷氏 うちは元々、自我が強すぎる人より協調性のあるクリエイターが多い会社。私は毎日Slackで発信し、週1回は全社員に向けて30分の「昼礼」をしています。数字の必要性を日常的に伝え続けた。
だから導入時も大きな抵抗はなかったんです。工数を入力するだけで、利益が上がっているような気もする。
また、レコーディングダイエットと同じで、記録するだけでも組織が効率化を意識し始めるんです。
トップの経営者の「6割で十分」という過信は、組織全体に影響を及ぼす。では、この「見えない経営」は現場で働くクリエイターたちにどんな影響を与えているのか。
作品の質vs利益貢献──
クリエイターのジレンマ
「いいものを作りたい」と「利益に貢献したい」。この二つは本当に相反するのか。
同社の調査が明らかにしたのは、クリエイターの意外な本音だった。
9割以上が「作品の質」を重視する一方で、ほぼ同数が「プロジェクトが利益につながらないこと」に不満を感じていたのだ。
佐藤氏 クリエイターは職人であると同時に、ビジネスパーソンでもある。利益貢献への意識の高さは、正直、新しい発見でした。
だが現実は厳しい。
7割が「忙しいのに給与が上がらない」と感じている。枌谷氏は「利益が見えないと、自分の貢献度が分からない。だから評価にも納得できない」と可視化の欠如を指摘する。
ベイジではプロジェクトの利益を全社員に公開している。ただし、評価とは切り離す。これが重要だという。
枌谷氏 工数管理を評価制度と結びつけると、クリエイターは萎縮します。これは仕事の効率を記録するためのもので、評価は別だというコミュニケーションが大事。
ここの説明の手を抜くと、下手をすればクリエイターの大量離職につながりかねません。
クリエイターは、自分の価値を「知りたがっている」。実際、ベイジでは可視化への抵抗はほとんどなかった。
枌谷氏 利益が出ているほうが思い切ってクリエイティブになれる、という面もある。後ろめたさが消え、自信を持って創造性を発揮できるんです。
柳瀬氏もまた、経営側が挑戦の土台を用意することの重要性を指摘する。
柳瀬氏 やなせたかしが「アンパンマン」を生んだのは54歳、アニメでヒットしたのは70歳手前。このためやなせたかしは遅咲きの漫画家と今の目からは見えてしまう。
でも、実際はちょっと違う。やなせたかしは、一流企業の三越の宣伝広報部門で働いていた頃、すでに漫画家やイラストレーターとして活躍していた。
副業サラリーマンの元祖のような存在。年収の3倍以上稼げるようになったら独立しようと考えていたが、実際に独立した時点で三越の年収の5倍を稼いでいたと本人の自伝にある。その後もテレビやラジオの台本や出演、雑誌の表紙、イラストレーター、そして漫画家の仕事がびっしりあり、しっかり稼いでいた。
だからこそ、当初は大人に不評だった「アンパンマン」をヒットするまで自分のコンセプトで20年間育てることができた。経済的な土台があってこそ、クリエイターは挑戦できるんです。
調査では9割以上が「労力と利益貢献が正当に評価されること」を求めている。クリエイターは数字を嫌っていない。自分の創造性がどうビジネスに貢献したかを知り、適切に評価されたいのだ。
収支の可視化が支える経営の未来
収支管理をしている企業の94%が成長、していない企業の85%が横ばいか衰退──。 佐藤氏が示すデータは衝撃的だ。
プロジェクト別収支管理を行う企業では成長率100%、衰退企業ゼロ。これはもう偶然ではない。
実際、ベイジは工数管理と営業改革の「合わせ技」で、利益率1%から13%へとV字回復を遂げた。工数管理でコストを可視化し、同時に誰でも仕事が取れる営業体制を構築。ツール導入だけでなく経営全体を見直した結果、制作会社では異例の「利益率15%」が視野に入っている。
では、データ経営への第一歩は何か。
佐藤氏 経営者がまず「会社の収支の現状を知りたい・知らせたい」と思うことです。実は経営層の84%が従業員に収支を知ってほしいと思い、従業員の72%が会社の収支を知りたがっている。でも共有されていない。
この「知りたい」と「知らせたい」をつなぐことが第一歩です。
柳瀬氏 成功する起業家は新しいテクノロジーに敏感。中小企業こそ、テクノロジーを味方につけることが生存戦略になります。
枌谷氏 データ経営で業務効率化の「余白」を生み出し、クリエイターは利益貢献できている自信を持って、萎縮することなく創造性を発揮できるようになります。
freeeは今後、AI技術でさらなる進化を目指す。佐藤氏は「経営者の次のアクションを示唆したり、場合によっては金融調達につなげていけるような仕組みを作りたい。クリエイターが本来の仕事に集中できる環境を、テクノロジーで実現したい」と決意を示す。
日本のクリエイティブ業界は転換点にある。生成AIの登場で、「ただ作る」だけでは価値を生み出せない時代。生き残るのは、創造性と経営力を両立させた組織だろう。
創造性と経営力は、決して相反しない。工数管理という「見える化」を実践すれば、クリエイターは赤字の不安から解放され、本来の創造性を存分に発揮できる。